●犬を飼うのはタブーな吉野町国栖地区窪垣内 犬嫌いの人にお勧めの町
2011/7/26: 2007年01月07日付けのasahi.comの記事で、「犬のいないムラ/奈良魔界伝」というものがありました。おもしろい記事だったのですが、残念ながら該当ページは既に削除されてしまったようです。この記事はタイトルに「奈良魔界伝」なんてつけているように、奇妙な話です。
ふざけているようにも感じますが、文章も薄気味の悪さを狙ったものになっていました。そういった狙いは、記事の始まりから見られます。「飼えば「災い起きる」/吉野町窪垣内」という小見出しがあり、以下のようにかかれていました。
<30分は歩いただろうか。坂道を上り、細い道を右へ左へ。耳を研ぎ澄ませて・・。だが、聞こえるのは側溝を流れる水の音だけ。確かに鳴き声はしない。「ワンワン」も「ワォーン」も。
さっきの宅配便の運転手も「そういえば見ないですね」と言う。思いは固まりつつあった。「少なくとも、公然と飼っている家はないのだろう」・・>
以上のように、何だか起こりそうな嫌な静けさを感じさせる文章になっていました。この地は「吉野川沿いの斜面に家々が並ぶ吉野町国栖(くず)地区」。「その中心にある窪垣内(くぼかいと)集落では、古くから犬を飼わない」という噂を聞きつけた記者は、取材にでかけたという話でした。
記者が道で出会った住民に尋ねてみると、噂は本当だったようで、住民は「えぇ、飼ってませんよ」と笑顔で即、肯定します。どこか含みのある笑みを想像すると、より良い感じで、怪しくなってきます。吉野町国栖地区窪垣内には、犬を飼わないタブーがあるんだそうです。犬が嫌いで嫌いで仕方ないという方には、お勧めの町ですね。
●天皇の後継者争いである古代日本最大の内乱・壬申の乱が理由に
米穀店主の林利彦さん(72)のよると、犬を飼わない理由は古代日本の内乱に起因します。かつて大海人皇子(天武天皇)は、天智天皇の後継をめぐって、天智の子大友皇子と争いました。大海人皇子は壬申の乱(672年)に勝利し、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で即位したものの、その前に吉野に隠棲していたそうです。
そのときの話なのでしょう。賊に追われ、吉野川に沿って逃げてきた大海人皇子を、窪垣内集落で渡しをしていた老夫婦が、舟をひっくり返して皇子を中にかくまったといいます。しかし、賊が連れていた犬が舟の周りでにおいをかぎ出し、皇子が見つかりそうになったため、翁(おきな)は赤い石を投げて(おそらく犬を)殺したそうです。
犬は何も悪いことをしていないのに殺されてしまって、なんか犬にとってはむしろかわいそうな話なんですけどね。とりあえず、以来、この地区で犬を飼うのはタブーになった…とされていました。
●国栖地区には大海人皇子の伝説に関わる神社や犬塚が残っている
「確かに、国栖地区には、大海人皇子の伝説と今をつなぐ物証が多い」と記者は言い、以下のような証拠を挙げています。
(1)御霊(ごりょう)神社 皇子を助けたという翁が祭神で、狛犬(こまいぬ)がない。犬に投げた赤石が本殿そばにあったとされ、地元では赤石を石垣に使うと崩れるとの伝承もある。
(2)犬塚 国栖小学校のそばに、翁が殺した犬を埋めたという犬塚が立つ。学校建設のため場所を少しだけ移したところ、山からまっすぐ炎が上がり、たたりと恐れられた。
(3)浄見原(きよみがはら)神社 皇子をもてなした場所とされ、地元の人が披露した舞は今も「国栖奏(くずそう)」として演じられる。天武天皇をまつり、付近は天皇森と呼ばれる。
●いろんな意味で怖い!老人ら「タブーを破った家は何軒も火事に」
不気味さのある話としては、「ところで、犬を飼うとどうなるのですか?」という質問に「災いが起こります」と回答している部分などもありました。70~80代の住民3人に聞いたところ、だれもが「飼っていた家が火事に遭ったのを、実際に知っている」と証言。それも数件あったといいます。
本当にタブーを破って犬を飼った家ばかりで、火事があったのかはどうか不明。ただ、本当に火事があったのなら怖い話です。これは祟り(たたり)による火事であったとしても怖いのですが、私には別の可能性が考えられて、違う意味で怖さを感じてしまいます。
こらの文章は実際に記事にあったもの。ただ、記事が恐怖を煽っていたのはここまで。あとは良い話で終わらせる方向に持って行こうとしていました。約80戸からなる窪垣内集落は、紙漉きの里として知られており、福西弘行さん(76)は国の「選定保存技術保持者」だそうです。
この方は幼少期、祖父から「犬は飼ってはいけない。病魔に侵されたり、火の気が出たりする」と絶えず言い聞かされ、小学生の頃に子犬を家に連れ込んだら、しかられた記憶が残るそうです。
ただ、福西さんは「紙漉(す)きや昔盛んだった養蚕も、(天武)天皇さんが里の人たちに教えてくれたのが始まりなんです」と言い、最高の紙が出来上がったときは、生業を授けてくれた天武天皇と、技を受け継いだ先祖に心の中で感謝するとしていました。天皇と先祖に感謝…で、「いい話」という理解です。
「そんな話を聞き、戒めがかたくなに守られているのは、災いへの畏怖(いふ)だけではないと確信した」といった感じで、記者はきれいに(?)まとめています。小さな集落の奇妙な伝統というのは、ホラー系の物語の題材としては王道ですが、そんな怖いところじゃないみたいですよ。安心してください。
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